『サン・セバスチャンへ、ようこそ』映画感想文・ウディ・アレンはやっぱり合わない

鑑賞中は楽しく拝見していたのですが、後から考えるとなんだかモヤモヤしてくる作品。

ウディ・アレンの作品はよくそんな気持ちにさせられるのですが、これまで自己分析ができていませんでした。

主人公の懐古主義には苦笑い…奥さんの気持ちがちょっと分かるような気がします。

60年前の映画の話ばかりされても、ちょっとね〜!

ん!? 小堺一機?

あらすじ

ニューヨークの大学の映画学を専門とする教授で、売れない作家のモート・リフキンは、有名なフランス人監督フィリップの広報を担当している妻のスーに同行して、サン・セバスチャン映画祭にやってくる。

リフキンはいつも楽しそうな妻とフィリップの浮気を疑っているが、そんな彼が街を歩くと、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」の世界が突然目の前に現れる。

さらには、夢の中でオーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」の世界に自身が登場するなど、クラシック映画の世界に没入する不思議な体験が次々と巻き起こる。(映画.comより引用)

2020年製作/88分/G/スペイン・アメリカ・イタリア合作
原題:Rifkin’s Festival
配給:ロングライド
劇場公開日:2024年1月19日

 監督・キャスト

監督

ウディ・アレン

  • モート・リフキン / ウォーレス・ショーン
  • スー / ジーナ・ガーション
  • フィリップ / ルイ・ガレル
  • ドクター・ジョー・ロハス / エレナ・アナヤ
  • パコ / セルジ・ロペス
  • 死神 / クリストフ・ワルツ

感想(ネタバレ含む)

人間歳を取ったら理性的で分別がついて…と思いきや、この映画に登場する大人たちは皆ちょっとアホっぽいというか、滑稽で愚かです。

鑑賞中や直後はそれが面白かったのですが、一日二日と経つにしたがって印象が変化し、人間を真摯に描く態度がウディ・アレンにはないのかもなぁ…と感じるようになりました。

登場人物は教授、映画の広報、映画監督、医師、と、相応の立場の人物ばかり。それが揃いも揃ってバカ一辺倒で、悲しくなるのです。

コメディってこんな気持ちになるものなのでしょうか…。

去年観たフランソワ・オゾンの作品などはコメディでも、とても知的で素敵でした。それと比べると、文化人を見下して愚かに描くことに喜びを見いだしているような、悪趣味を感じるのです。

主人公モートはクラシック映画のマニアであり、フェリーニ、ゴダール、トリュフォーらの名画に自分が飛び込む夢や妄想を見るようになります。

それがまた、興ざめなのです。リスペクトというより、ちょっと馬鹿にしているように見えたのは私だけでしょうか。

観る側が「勝手にしやがれのあのシーンだね」とニヤニヤして喜ぶと思っているのか、ただの自己満足か、どちらかはわかりませんが、踏みにじられた気がします。

また、会食シーンで日本の映画俳優を並べたて、周りを微妙な空気にしてしまうシーンがありました。これもディスられているようでした。

ウディ・アレンはもう高齢ですが、昔の作品と印象があまり変わらないことに気づきます。

人間の本質的な部分って変わらないんだろうな、というより、前頭葉の働きがいくぶん弱ってきて、理性で抑えていた本来の性質が、さらに色濃く出るのでしょうね。

場面場面では確かにクスッと笑えるところもあり、主人公もチャーミングに演じていらしたと思います(俳優さんの力)。

サン・セバスチャンの観光気分でサラリと流して観るにはとてもいい作品です。

これ以上深く考えずに、この件は終了といたします。

ウディ・アレンはどうにも合わないと分かったので、もう卒業します。