最近、一度見ただけでは解釈しきれない作品が多いような気がします。「ター」「アフターサン」そしてこの「怪物」。
予告とはかなり印象が異なり、難しい作品でした。正解がないため「どのような見方をすればいいのか」考える時間が必要でした。
ネットでもさまざまな解釈が行われているようですね。
この作品は内容に触れずに語れないので、ネタバレありとさせていただきます。
物語は母親から教師、子どもへと目線が移っていく3部構成になっていて、同じ場面を繰り返し別の立場から見ていきます。
目線が変わるにつれて、一面(母親)からしか見えていなかったものが多面的に見え、真実が浮き彫りになってきます。
私は第一印象として、怪物とは各々の「先入観、思い込み、認知バイアス」の怖さのように感じました。
しかし、時間が経つにつれて、認知は制作者側の仕掛けであり、思い込ませるように作られているのだよね、とわかってきました。
誘導された歪みですから、こちら側の内なる怪物というわけでもないのです。
では何なのかというと、私はどうも少年たちの親(安藤サクラ、中村獅童)が最大の怪物なのではないかと思えてきました。
中村獅童は見たまま怪物ですが、安藤サクラ演じる母親がとても問題のある人物で、親子の間にある見えない隔たりの深さを生々しく感じました。
ひじょうに強い母親で、息子の湊(みなと)を支配し、あるべき枠に入れようとしているさまが、ものすごく怖いのです。
母親本人は「仲良し親子」だと思い込んでいるフシがありますが、それが曲者であり、実際に湊はその場しのぎの嘘ばかり母親につくのです。
これは本当の信頼関係がないことを意味しています。
子どもの心に芽生えた戸惑いや揺れに、母親がもっと早く気づけたのでは、と思うのです。
「最も愛情を持っているにもかかわらず、信頼されず、真実を何も知らず、責任が他者にあると猛烈に責め、最終的に息子を失う」そんな話ではないでしょうか。
ラストシーンは考え方が分かれますが、現実問題として、湊が星川くんと共に亡くなっていると考えるのが自然でしょう。
この先、母親は大きすぎる代償として、大変な苦しみを背負って生きていくことになるのです。
多くの方が希望ととらえるラストシーンは、子どもの形をした二人の魂と私は考えました。
美しいだけに悲しいですが、元のまま、ありのままでいいと確信して、幸せそうなことが唯一の救いです。
何よりも命は大切だということを考えると、本当は、生きて乗り越え、どんな子でもいいと心から認められる幸せを手に入れてほしかったです。
けれどそれは叶わず、子どもたちが「親という怪物」から死をもって解放されたように、私には思えました。
ひじょうに残酷な解釈だと思いますが、これはすべての親への警鐘ではないでしょうか。
決してスッキリとする作品ではありませんでしたが、とてもいろいろなことを考えさせられました。
機会があれば、また見直してみようと思います。
子役の少年たちの演技がとても素晴らしく、俳優さんとしての将来がとても楽しみです。