様々なしかけのある映画なので、後から自分なりに意味が分かることも多いです。
今日はよく分からなかった場面のひとつ「湊が家で消しゴムを拾おうとして、動かなくなったシーン」がなんとなく理解できた気がしたのでメモしておきます。
湊は家で宿題をしています。
消しゴムを落として、拾おうと手を伸ばす湊。その時、母親はごま油を買い忘れたと言って、近くのコンビニにでかけます。
やがて母親が帰ってきますが、その時、湊は手を伸ばしたままの姿勢でいました。
私は一度しか見ていないので、時系列でどの辺りかわからないのですが、湊はこの時点で多くの問題、悩みを抱えていたはずです。
しかし、何でも話すことはできない存在だと母親を認識しはじめ、信頼関係は希薄になってきてきています。
そんなことはまるで分からない母親は、宿題をしている湊を見ながら、ご機嫌で満足そうです。心に悩みを抱える子どもと、それに全く気づかない母親。
本当は宿題をする心の余裕もない状態であったけれども、ぼんやりしていれば、母親から指摘されるに違いないし、それは面倒。
湊にはそんな心の働きがあったのではないでしょうか。
おそらく、母親がいなくなったのをきっかけに、湊は消しゴムを拾わず物思いにふけっていたのです。
母親がいては、自由に考え事もできない状況になっていることを、帰宅した母親は、一切気づきません。
物音がして、母親が帰ってきたとわかった瞬間に、また見せかけでも宿題を始めようと、消しゴムを拾うシーンから自分で始めたのではないでしょうか。
母親の観察力のなさ、子どもからの信頼の喪失、表面上はうまくやっているように見えても、気持ちがすれ違ってきていることが、描かれているシーンなのかなと思いました。
他にも安藤サクラ扮する母親はかなり無自覚で残酷な言動が多く、冒頭、湊が登校するシーンで「白線から出たら地獄ね!」と湊に呼びかけているのが私は恐怖でした。
外れると地獄という、呪いの言葉は、その後の湊をとても苦しめていくのです。
私は「怪物」で、母親の鈍さや押しつけ、思い込みが致命的だと感じましたが、あまりそのことについて論じている人がいないようで、意外です。
あるいは保利先生にも、いくらかの問題があったのかもしれません。しかしこう言ってはなんですが、その場限りの担任でしかありません。親と同等の責任を担任に負わせるのは酷というものです。
なので私は保利先生には結構寛容です。
飴をなめるシーンがおかしいという人も多いのですが、仮に何かしらの性格傾向があり、嘘を強いられることに大変なストレスを感じる人というのも考えられます。
本の誤植を見つける趣味があることからも、間違いに敏感な人だとわかります。
そんな人が、極度のストレスと緊張状態から、ポケットにたまたま入っていた飴を思わず口に入れてしまう…そんな衝動があっても「すごくおかしい」とは言い難いのではないかと思うのです。
まぁやや策略的な場面とは思いました。ということで、保利先生をちょっとかばって終わりにしようと思います(笑)