『西湖畔(せいこはん)に生きる』映画感想文・ラストは、どうなったと思います?

マルチ商法ってどこの国にもあるんですね。そのまま日本でも通用しそうな題材です。

母親の狂いっぷりが激しい。怪作と言えるかもしれません。

↑輪になって寝るとかカルト宗教みたい…

あらすじ

最高峰の中国茶・龍井茶の生産地である西湖のほとりに暮らす母タイホアと息子ムーリエン。ムーリエンの父は10年前に行方不明になっており、タイホアが茶摘みの仕事をしながら、ひとりで息子を育て上げた。ムーリエンは早く仕事を見つけて母を安心させたいと考えるも上手くいかない。一方のタイホアも茶畑の主人チェンと懇意になるが、そのことでチェンの母の怒りを買い、茶畑を追い出されてしまう。やがてタイホアは友人の誘いで違法ビジネスにのめり込んでいき、ムーリエンはそんな母を救うため、ある決断をする。

2023年製作/115分/G/中国
原題または英題:草木人間 Dwelling by the West Lake
配給:ムヴィオラ、面白映画
劇場公開日:2024年9月27日

(『映画.com』より引用)

感想(ネタバレ含む)

お盆の由来となった目連尊者の話を元にした映画だそうです。


お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者が神通力で亡くなった母親の姿を見たところ、母親は餓鬼道に落ちていた。なぜかというと、飢えた修行僧に「息子の目連に飲ませるから」という理由で水を分け与えなかったからだという。

なんとか母親を救いたい目連はお釈迦様に尋ねた。すると、お釈迦様は「自分の力は母親のためだけに使うのではなく、同じ苦しみを持つすべての人を救う気持ちで使うように」と諭された。

目連尊者は修行僧たちに、食べ物や飲み物、寝床などを与えたところ、修行僧たちは大変喜び、餓鬼の世界まで話が伝わり、母親が救われた。


これくらいで餓鬼道に落ちるのかと思うとびっくりですが、一時が万事。常にこういう母親だったのかもしれませんね。目連尊者も母親を救いたい欲のために修行僧を助けたようにも見えますが、まあいいでしょう(偉そうに)。

この映画は牧歌的な茶畑から始まりますが、住み込みで働く貧しい母親タイホアが追い出されてからは、阿鼻叫喚のマルチ商法へと絵に描いたような転落をしていきます。

その対比が極端で驚きます。

息子ムーリエンはその会社の罪を暴くことで、母を救おうとするのですが、完全に洗脳されている母タイホアが怖すぎました。

叫びまくるタイホア。当初はお金儲けが目的だったにも関わらず、最後には「儲からなくても楽しい!!」と発狂します。

ムーリエンは優しいけれど頼りなく、なかなか自立できない青年でしたが、母親のために手を尽くします。

お国柄なのかどうか、日本でここまでしてくれるお子さんたちが果たしているかどうか、考えてしまいました。

私が足裏シート販売に狂ったら、息子は助けてくれるだろうか…なんだか見捨てられそうな気がしました。

終盤、幻想的なシーンに突入し、現実か夢か分からない世界に入っていきます。

深い山に分け入り、背負った母はムーリエンが転んでも目を覚まさないことから、もう息絶えているように見えました。

母親は傾倒していた団体がなくなり、ショックのあまり死亡したのではないかと想像しました。

そしてムーリエンは指を怪我して叫び、眠りから目覚め…彼もここで亡くなったのではないかと私は解釈。

死んだように動かなかった母が、その世界では起きていましたし、最後に、寺の門前で「父親を知っている人がいる」と僧侶から言われたのも、あの世だからでしょう(父は10年前に行方不明)。

そして、その時のムーリエンは坊主になっていました。

彼がそこで何か悟ったような、淋しげな表情を浮かべていたのが印象的でした。

多分、悲劇的なラストだったのではないかと思います。

夫は行方不明、新たな恋人との仲も裂かれ、住み込みの仕事も失い、絶望の中にいる中年女性。しかし、心優しい息子がいるのであれば、安易に金儲けを望まずに、彼のためにももう一度立ち直ってほしかったです。

精神状態がギリギリだったのかもしれませんね。

死ななければ元の母親に戻れなかった悲しさと、一蓮托生となってしまった息子の悲しい話だと思いました。

人によっては全く見方が違うかも!?