ニナ・メンケスの世界『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』映画感想文・恥ずかしながら女性の客体化について初めて考えました

映画を見る時に私たちはカメラマンと監督を通して演者を見ています。

その多くは男性であり、男性の目線を幾重にも通して、時に性的な目線で女性の俳優を見ている場合があるのです。

多くの映画を例に挙げ「男性のまなざし」を解明していく、映画監督ニナ・メンケスの講演形式ドキュメンタリーです。

あらすじ

女性が対峙する内面世界や孤独・暴力などを題材に、1980年代初頭より独自の美学で映画制作を続けてきたニナ・メンケス監督が、映画というメディアがいかに「男性のまなざし」に満ちているかを解き明かしたドキュメンタリー。

フェミニストの映画理論家たちが長年にわたって探求し続けてきた「Male Gaze=男性のまなざし」の問題。現在に至るまでの映画がいかに「男性のまなざし」にあふれているか、そしてその表現が我々の実生活に及ぼしてきた影響を、アルフレッド・ヒッチコックからマーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノといった監督たちの作品、さらに2020年代の作品まで、大量の映画のクリップを使用しながら考察していく。

俳優のロザンナ・アークエット、映画監督のキャサリン・ハードウィックらが出演。2024年5月開催の特集上映企画「ニナ・メンケスの世界」上映作品。

2022年製作/107分/アメリカ
原題:Brainwashed: Sex-Camera-Power
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2024年5月10日

『映画.com』より引用

感想

「女性の客体化」というとピンときませんが「演者である女性が性的なモノとして見られ、扱われる場面」と言えば、ああ、よくあることでは? と思い当たるでしょう。

物語には直接関係のない、女性の胸やお尻のアップ、裸や着替えを盗み見るシーンなど、おもに男性の満足度を上げるために入っていると思われるカットです。

何度も、何パターンも見るうちに、こちらが女性であっても男性目線と同一化していきます。

洗脳的であり、怖いインプットだと思いました。

たしかに、女性を客体化したシーンを私自身「そういうものだ」という目で見ていることが多かったように思います。

・足の先までスローモーションで舐めるように撮る

・陰影をつけずに平面的に撮る

・パーツをアップで撮る

名作と呼ばれる作品の中で、いかにこれらが多用されてきたかを、ニナ・メンケスが解説していきます。

例として、ヒッチコックやタランティーノなど、超有名監督の作品を具体的にバンバン出してきて、タブーも忖度まるでなし!

映像使用の許可って必要ないのかしらと余計な心配をしました。

一方で、具体的な映像を見せられ「なるほどそう言われてみれば奇妙なカットだなぁ」と気づくことも多く、興味深いながらも、なかなか気の滅入る体験でした。

このような手法が取られる時は、たいてい女性の内面の表現ではなく、モノとして捉えられていることが多いのです。

(この後、ニナ・メンケスの二作品を鑑賞し、実際に女性の内面をこれでもかと強烈に表現しているさまを目の当たりにしました)

これまでのことを考えた時、私は単純に、いち女性として「女性の身体が美しい」と感じる一方で、男性の性的目線が強いカットでは、違和感を覚えることもあったように思います。

日本の映像作品でも、昔は今よりも露骨な、いわゆるお色気シーン、サービスカット(ショット)と呼ばれるものがありました。

ドラマですが『水戸黄門』における、由美かおるの入浴シーンや、『時間ですよ』における女湯の演出…子供心に不快感がありました。

入浴や裸をみんなに見られたい女性はいないだろうと潜在的に分かっていたからです。

それと似た違和感が邦画洋画問わず、たくさんあったとあらためて気がつきました。

男性目線の洗脳が、現実世界の男性による搾取や抑圧に繋がっているという考え方は、全てではないでしょうが、あるだろうと思います。

今回、このドキュメンタリーによって新たな気づきがあり、今後の映画の見方にも影響がありそうです。

そして、ニナ・メンケスの一作目として観たため、この後の二作品がどのような映画なのか、がぜん興味が湧いてきました。

まだまだ知らない映画監督がいるのだなぁと、自分の知っている世界の狭さを感じた今作でした。