とても面白い作品でした。
問題のラストをどう捉えるか、人それぞれ違っているでしょう。
私は、希望が欲しい気もしつつ、感じ方としては『怪物』と同じで悲しい最後です。
淡々として見えていましたが、巧の抱えていた闇は想像以上に大きかったのではないかな、と思いました。
目次
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。
『映画.com』より引用
途中までは、開発者と村人との相互理解が描かれているのかと思いながら観ていました。
『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督なので、人と人が理解し合うには…というテーマがあるのかと勝手に思い込んで失敗。
意外と普通に話が進みますが、ラスト10分ほどで大きく展開し、解釈が見た者に委ねられる結末となっています。
高橋、また花は最後助かったのか、死んだのか、というのも明らかになっていないので、さまざまな意見がありますね。
私の考えとしては、高橋は多分死んでいないという考え方です。
・プロレスの技は殺害するためのものではない
・殺害するなら、息の根を止めるまで締めるはず
・今排除できればそれでいいという巧の考え
まぁ、生きていても死んでいても構わないような…高橋はどうでも良くないですか?
生き残って、後で騒ぐのも似合っているような気がしますね。
一方、花を背負った巧は森へと入っていき、おそらく行方がわからなくなるだろうと私は考えました。
花はおそらく手負いの鹿にやられて、亡くなったか瀕死の状態。内臓にダメージを与えられていると思います。
具体的に巧がどう動いたかは想像の範囲外ですが、戻ってくることはなさそうに見えました。
巧という人物は素朴で調和を重んじ…という印象を持っていましたが、そうでもなかった!とラストで気付かされました。
そしてこれまでのことを思い返しました。
・そもそも、この父と娘は、妻・母の喪失を乗り越えられずにいた。
・自分の喪失感で手一杯な巧は、いろいろなことを忘れがちであり、花の孤独とも向き合うこともできていなかった。
・花が鹿に襲われたと分かった時、巧は娘と向き合えていなかったことに気づき、妻に続き、再び大切な家族を失ったことを知る。
・また、開発者と村とのバランスに気を取られている間に、娘を失うことになり、怒りや後悔でパニックを起こし、精神的に耐えられなくなった。
・感情が爆発し、とにかく高橋を排除したかった。これ以上関わらせたくないという強い気持ちが生まれたのではないか。
・その後は、花とともに、自らも死へと向かったのではないか。
花が手負いの鹿に向かっていったのが少し不思議な気もしますが、海や川など、自然の危険な場所に近づいて事故に遭う子どもがいることを考えると、あり得ることだとも思えます。
あるいは、父親に心配してもらいたいという子どもとしての気持ちもあったかもしれません。
花はいつも明るく気丈に過ごしていましたが、とても孤独を感じていたのだと思います。
最後まで気づきませんでしたが、巧はかなり罪深い人物だと思いました。
勝手に色々と想像しましたが、ああでもないこうでもないと考えている時間が楽しかったです。
濱口監督の次の作品がすでにもう楽しみです。頑張ってください…(見ていないでしょうが笑)