『コーダあいのうた』がちょっと残念だった私の見方

映画は基本良いところを見て評価する私ですが、今回はうーん!! でした。とても評判のいい作品だったので、良かった良かったと感動を分かち合いたいところですが、そういうこともあるのですね。

感動してご覧になった方がおられることも充分わかります。そして内容にも触れておりますので、読みたくない方は申し訳ありませんがそっとページを閉じていただきたく存じます。

まだ公開前、予告を見た時です。ルビーが生まれた時に家族でひとりだけ耳が聞こえるとわかり、残念に思ったと母親が告白する場面が流れました。それがとても心に引っかかっていました。

この発言は「さすがにないだろう」と思ったのです。そういう考え方もあるのでしょうか…どうしても共感できませんでした。そのため鑑賞が一年近く遅れました。

私も、生まれつきの足の障がいがあります。子どもには同じ苦労をさせたくないと思い、赤ちゃんの頃とても気にして調べました。私の周りでも持病のある方は子どもに同じ症状が出ないかとても心配されていました。それが普通なのではと思っていたので、少なからずショックでした。さらにそれを当の娘に言うだろうか、という違和感です。

前後を見ていないので、もしかすると「お母さん、とんでもないことを口走ってしまった! バカバカ!」という場面が続くのではと期待したのですが…そうでもなかった。

そしてこれまでの場面を思い出してみた私。

・生まれた時は聞こえることでがっかりしたのに、大きくなるとルビーに頼り切って漁の仕事に使っている。筆談や機械を使う方法もあるのに、すぐにルビーを呼んで通訳をさせる。漁での聞こえる役目が必要ならばルビーの生まれる前や幼い頃はどうやって生計を立てていたのか。

・高校生を朝3時に起こして漁に連れて行き、その後登校させる生活はいくらなんでもひどすぎる。

・娘が歌が好きなことを17歳まで知らなかった観察不足の親。子どもの頃から見ていれば絶対に分かる。

・父親の下品さが異常なレベルで、それを娘に通訳させるという残酷さ。

後半の音楽会での無音シーン、大学受験の手話シーンなど、終盤のいい場面がいまいち心に響かなかったのは、ルビーの家庭が元から愛情深かったように思えていなかったから、ということです。

物理的に必要なだけで、子ども本人を全然見ていないように思えたこと。でもルビーはそんな家族でも大好きであるというところのズレが、なんとも哀しい。子どもは本質的にどんな親でも好きでいたいものなのです(できないことも多いですが)。

私から見ると、ルビーが家族のしがらみ(モラハラ)から解放される話、または親の、子への依存から脱却する話、本当の愛情とは何なのか学ぶ話、と受け取れました。

ラストではルビーが家から巣立つことになり、この結末は本当に良かったと思いました。耳が聞こえるも聞こえないも関係なく、両親こそが自立していかなくてはいけないのですよ。