車から外を眺めるのが似合いすぎる門脇麦さん。淡々としながらも感情の揺れが見えるような気がします。
綿子は一見、行き当たりばったりに見えるけれど、実はぎりぎりまで答えを先延ばしにしながら、いつも、常に、考えあぐねているのかもしれません。
不倫は肯定できませんが、この作品には「その後」が語られていて、どのように感情が変化していくのかがとても興味深く描かれていました。大好きな作品です。
なんでもかんでも、真正面から向き合うのは難しいものです。綿子にはいつの間か夫婦間のさまざまな問題を、向き合わずに回避したり、我慢したりすることで、やり過ごしていました。
それは理解できなくもありません。夫婦関係が少しずつ変わって、気持ちがすれ違っているのが分かっていても、「だからどうする」というきっかけもないまま、見て見ぬふりをしてしまうのです。
気づくと寝室も別、会話も事務的なことだけ、最初は良い人そうに見えた夫も、物語が進むに従って、少しおかしな言動が見え始めます。
「いい人じゃない?」と思った自分が、後から恥ずかしくなりました。非常にパワハラ的で怖いのです。ただ、収入はすごくありそうなのが、生活ぶりからわかります。
この夫だから、働かずに不倫旅行にも行けるし、小綺麗なマンションにも住めるし、いい服も着られるという打算も、言葉には出しませんが、あるのでしょう。
心の空白は別の恋人に埋めてもらうという、複雑な状況になっても、そのままやっていこうとする甘さや慣れ。ツケが回ると言ったらそれまでですが、綿子の保留していた問題は膨らみ続けます。
ほつれるとは「解ける」こと。もつれていくのではなく、ほどけていくことであり、そこがテーマです。
木村の死をきっかけに、からまった糸がほどけていき、綿子は次第に取り繕わない、本来の自分そのものになる道を選んでいくことになります。「綿子」という名前も示唆的かなと感じました。
結果的に、綿子は二人の男性を失います。その先、自立の道を選ぶのか、再び不倫相手を探すのかはわかりませんが、からまった物事が淡々と収束していくラストに、私は心地よさを感じました。
この映画を観てモヤモヤする人はいるはずですが、私は役者が門脇麦だから良かったという気持ちが多分にあります。
綿子はかなり身勝手な人なのに、そう見えない。生々しいほどのナチュラルさか、感情を抑えた演技か、余白の多さか…。
同じ不倫の話でも、先日見た「金曜日の妻たちへ3」は妻たちの勝手さに何の同情も共感もない私でしたが、門脇麦なら許せるという不思議な気持ちになりました。
今後、その理由を考えてみたいと思います。
門脇さんが主演された『あのこは貴族』も、割と流れるままに生きてきたお嬢様の役だったので、テイストが近い気がします。言葉で説明しない、含みのある物語がお好きな方には、ぜひおすすめしたい映画です。