どこまでもカッコよくなっていく二人が本当に素敵。ラストへの疑問も、見方を変えれば悲劇ではないと気づきました。
目次
専業主婦のテルマとウェイトレスのルイーズは、週末にドライブ旅行へでかける。
途中で立ち寄った店でテルマは泥酔し、駐車場で男からレイプされそうになり、それを見たルイーズは男を撃ち殺してしまう。
指名手配された2人は、さまざまなトラブルに見舞われながらメキシコへ向かって車を走らせるうちに、自分らしく生きることに目覚めていく。
1991年製作/129分/アメリカ
原題:Thelma & Louise
配給:アンプラグド
劇場公開日:2024年2月16日
その他の公開日:1991年10月19日(日本初公開)
とても良くできた物語であることは素直に認めつつも、どこかスッキリしない第一印象でした。
たしかに、テルマとルイーズの二人が、どんどん覚醒していくさまは痛快。
カリカチュアされた男性たちとは対照的に、自分たちの生き方を追い求めていく、まさに同士とも言える二人の姿がとてもまぶしく見えます。
ただ、果たしてあの終わり方で良かったのだろうかという疑問がありました。
自分たちらしく、自由を求めたら、破滅への道を辿らなければならないのか…
死を選ぶのは結局のところ、敗北ではないのだろうか…
おそらく現代なら、どんな風になっても、生きて抗い続けていく形にしたのではないだろうか…
女性のあり方としての共感があり、この二人には、生き続けてほしかったと思いました。
テキサスの片田舎で、虐げられ抑圧された女性たちが目覚め、立ち上がっていく…その先が破滅とは、あまりに切ないのです。
しかし、少し検索して脚本家カーリー・クーリのインタビューを見つけました。
私は、あのシーンを文字通りの“自殺”という風にはとらえていないんです。
ある意味、この世では大きくなりすぎて収まらなくなった2人が、この世界を去って、今日における無意識な大衆の心へ飛び込んでいったと思っています。
なぜなら、テルマとルイーズは、今でもずっと我々の中に生き続けているからです。
だからこそ、私たちは、煙が立ち上った車の残骸を映すことはなかった。
捕まって刑務所に入れられたわけではなく、誰からも罰を受けたわけでもない。
ある意味、ハッピーエンディグのつもりです。2人は、自分たちが望んだ形で飛び去ったんです。それがすごくパワフルなんです。
『映画.com』より引用
これを読んで、とても腑に落ちました。
この映画への見方が180度変わったと言っても差し支えありません。
二人は心中や逃亡といった、湿っぽくネガティブな着地をしたのではなく、異次元へと旅立ったと考えるのがしっくりくるのです。
殻を破ってありのままに生きるという、彼女たちの「精神」が共感を呼び、生き続けているのです。
彼女たちの前には二つに分かれた道があり、常に間違った方向へ進んでいったように思えました。
しかし、間違ったというのではなく「これまでの二人なら選ばなかった方の道」を常に選んだということです。
「こんなことができるなんて不思議だけど」と警官を監禁しながらテルマが言いましたが、古今東西の女性たちの力を得たような台詞で、とても印象的でした。
男性のリドリー・スコットが、シスターフッドの映画をこれだけ巧く作っていることは驚きです。
タフでしたたかで、しかし決して器用ではない女性たちの物語。本当にいい作品でした。
また、見たままではないという映画の見方を知り、とても勉強になりました。