『ザ・フラッシュ』(2023.6.16公開)予習のためのバットマン見直し独自企画。
『バットマン』(1989)に続き、ティム・バートンによる二作目。前作との間に『シザーハンズ』が製作されています。
前作がヒットしたため、自身の独特な世界観をもっと打ち出していきたいと思ったのかもしれません。
異常性はエスカレート。闇の深さは前作を超え、カルトムービーの様相を呈しています。大昔(1932年)『フリークス』という映画がありましたが、それを彷彿とさせます。
子どもの頃、テレビシリーズの再放送で見ていたバットマンは、もっとコミカルでゆるいイメージでした。
体型もぽっちゃりしていて、全身タイツに布マント。吹き替えは広川太一郎さんでした。
そのような実写のイメージから、このようなアート感あふれる作品に仕上げたティム・バートン。本当に凄いと思います。
⇩白塗りのジョーカーが皆さまを怖がらせるかも、と思い、Twitterに貼るのをやめました(笑)
この作品には、バットマンの敵としてペンギン、キャットウーマンが登場します。
クリスマスを楽しむような一般人は蚊帳の外。はっきり言ってアホ扱いであり、まともな人は執事のアルフレッドくらいです。
三人三様、悲惨な経験を経て異形のヒーロー、ヴィランへとなりました。これが三つ巴で戦うのですから、一般的なヒーローものとは大きくかけ離れています。
何が正義なのか悪なのか、という問題ではなく、それぞれが考える正義に向かい、はばむ者を敵とみなして戦うわけです。
街の治安や市民の安全を、誰も本気で考えていない…バットマンすらそのような意識が薄く感じられました。
さらに、バットマンはすでに両親の仇をとったため、モチベーションを欠いたのでしょうか、今作は傍観者かと思わせるほど影が薄く「主役…誰?」という感じでした。その辺はあまり考えない方が良さそうです。
ペンギンにも思うところはたくさんありますが、私にはキャットウーマン(=セリーナ)がとても悲しい存在に思えました。
メガネのドジっ子秘書で不遇な扱いを受けた挙げ句に消されてしまうのです。瀕死のところで助かったという説もありますが、キャットウーマンになったことで、セリーナとしての人生は終わったと私は解釈しました。
野良猫に囲まれて息を吹き返すのは、しいたげられた者たちの反逆の意味が込められているようです。セリーナも同様に、これまでの内向的な人間から転じて、部屋を滅茶苦茶にして過去を捨てたのですね。
バットマンが財力で高性能なバットスーツを何着も持っているのに対して、キャットウーマンはミシンで手作りのツギハギだらけのスーツというところが対照的で泣けます。
お互いに惹かれ合っていながら、実らない恋というのが、切ないです。セリーナのままで知り合っていたら、ブルースとうまく行ってお城に招かれたかもしれないのに…ああ惜しい、もったいない!
そこが一番悲しいよ、と私は思いました。
そして二番目に悲しかったのは、ペンギンの葬送です。哀れ、という言葉がしっくりくる最後でした。
もし未見の方がいらっしゃいましたら、異形の者たちの悲哀をぜひご堪能いただきたいと思います。本当に奇妙で面白い作品でした!