『バットマン・リターンズ』(1992)感想文・前作をしのぐ奇っ怪な話

『ザ・フラッシュ』(2023.6.16公開)予習のためのバットマン見直し独自企画。

『バットマン』(1989)に続き、ティム・バートンによる二作目。前作との間に『シザーハンズ』が製作されています。

前作がヒットしたため、自身の独特な世界観をもっと打ち出していきたいと思ったのかもしれません。

異常性はエスカレート。闇の深さは前作を超え、カルトムービーの様相を呈しています。大昔(1932年)『フリークス』という映画がありましたが、それを彷彿とさせます。

子どもの頃、テレビシリーズの再放送で見ていたバットマンは、もっとコミカルでゆるいイメージでした。

体型もぽっちゃりしていて、全身タイツに布マント。吹き替えは広川太一郎さんでした。

そのような実写のイメージから、このようなアート感あふれる作品に仕上げたティム・バートン。本当に凄いと思います。

⇩白塗りのジョーカーが皆さまを怖がらせるかも、と思い、Twitterに貼るのをやめました(笑)

ピエロが怖いので、顔が白いだけでドキドキしてしまいます…

この作品には、バットマンの敵としてペンギン、キャットウーマンが登場します。

クリスマスを楽しむような一般人は蚊帳の外。はっきり言ってアホ扱いであり、まともな人は執事のアルフレッドくらいです。

主な登場人物

1.ペンギンは奇形のため両親から川に捨てられ、ペンギン軍団やフリークスたちと共に下水道で33年間暮らしてきたという、壮絶な境遇。愛されたいという苦悩を抱え続けた末に、自らの障害を美談として利用し、自作自演や狂言を使って地下から這い上がり、市長の座を狙います。

  

2.さえない秘書のセリーナは重大な秘密を知って殺されながらも、猫の不思議な力でキャットウーマンとして蘇ります。過去の社会的な圧力、トラウマから、復讐と自己完結を目的として犯罪に手を染めていきます。人間の記憶を残しながら別人格のヴィランとして生きるため、苦しむのです。

  

3.バットマンはご存知の通り、幼少期に両親を殺され、抑えることのできない私怨により、コウモリの扮装で夜な夜な悪を滅ぼすために、活動を続けています。前作で両親を手にかけたとされるジョーカーを倒しました。

三人三様、悲惨な経験を経て異形のヒーロー、ヴィランへとなりました。これが三つ巴で戦うのですから、一般的なヒーローものとは大きくかけ離れています。

何が正義なのか悪なのか、という問題ではなく、それぞれが考える正義に向かい、はばむ者を敵とみなして戦うわけです。

街の治安や市民の安全を、誰も本気で考えていない…バットマンすらそのような意識が薄く感じられました。

さらに、バットマンはすでに両親の仇をとったため、モチベーションを欠いたのでしょうか、今作は傍観者かと思わせるほど影が薄く「主役…誰?」という感じでした。その辺はあまり考えない方が良さそうです。

ペンギンにも思うところはたくさんありますが、私にはキャットウーマン(=セリーナ)がとても悲しい存在に思えました。

メガネのドジっ子秘書で不遇な扱いを受けた挙げ句に消されてしまうのです。瀕死のところで助かったという説もありますが、キャットウーマンになったことで、セリーナとしての人生は終わったと私は解釈しました。

野良猫に囲まれて息を吹き返すのは、しいたげられた者たちの反逆の意味が込められているようです。セリーナも同様に、これまでの内向的な人間から転じて、部屋を滅茶苦茶にして過去を捨てたのですね。

バットマンが財力で高性能なバットスーツを何着も持っているのに対して、キャットウーマンはミシンで手作りのツギハギだらけのスーツというところが対照的で泣けます。

お互いに惹かれ合っていながら、実らない恋というのが、切ないです。セリーナのままで知り合っていたら、ブルースとうまく行ってお城に招かれたかもしれないのに…ああ惜しい、もったいない!

そこが一番悲しいよ、と私は思いました。

そして二番目に悲しかったのは、ペンギンの葬送です。哀れ、という言葉がしっくりくる最後でした。

もし未見の方がいらっしゃいましたら、異形の者たちの悲哀をぜひご堪能いただきたいと思います。本当に奇妙で面白い作品でした!

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