ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』が公開されるので、過去作の『エル・スール』を観てきました。
『ミツバチのささやき』がラストで希望の光が射す印象だったのに比べると、切なく、やりきれない気持ちになる映画でした。
1957年、ある秋の日の朝、枕の下に父アグスティンの振り子を見つけた15歳の少女エストレリャは、父がもう帰ってこないことを予感する。そこから少女は父と一緒に過ごした日々を、内戦にとらわれたスペインや、南の街から北の地へと引っ越した家族など過去を回想する。
1983年製作/95分/G/スペイン・フランス合作
原題:El Sur
配給:アイ・ヴィー・シー
劇場公開日:2017年3月25日
『映画.comより引用』
監督・脚本
ビクトル・エリセ
キャスト
オメロ・アントヌッティ(アグスティン・アレーナス、エストレーリャの父親)
ソンソーレス・アラングレン(8歳のエストレーリャ)
イシアル・ボリャイン(15歳のエストレーリャ)
ローラ・カルドナ(フリア、アグスティンの妻)
ラファエラ・アパリシオ(ミラグロス、アグスティンの乳母)
オーロール・クレマン(イレーネ・リオス/ラウラ、女優)
父親の失踪は、おそらく死を意味すると分かり、2023年の『アフターサン』という映画は、このような話だったのだ、と共通点が見えて興味深かったです。
本来、この結末の後にエル・スール(南)へ向かったエストレーリャの物語が続くはずでしたが、諸事情によりカットされたそうで、
そのため、ビクトル・エリセ監督はこの映画を「未完の作品」とおっしゃっています。
この先物語が続くのなら、エストレーリャは南へ行って何をするだろうかと思わずにはいられません。
父が愛していた女性に連絡をするのかもしれない、祖父との対面で何か心の変化が起こるのかもしれない…描かれるはずの場面がたくさんあり、想像が膨らみます。
エストレーリャは父親を失って(それも自分が背中を押してしまったような形で)、傷つき、南へ旅立つところで本作は終わっているので、少し悲しい鑑賞後感となりました。
この先の旅によって彼女は父親のことを深く知り、死を乗り越え、成長していくはずなので、そここそが大事じゃないのか?という気もします。
希望に満ちたラストとなるように脳内補完していますが、いつまでも気になるようなら、原作を読んだ方がいいですね。
愛する子どもには「親の顔」を見せなくてはいけないけれど、ひとりの人間としての葛藤や苦悩もあり、
それを子どもに悟られないように暮らすのもまた愛情です。
しかし、子どもは成長して少しずつ親離れしていくので、幼い頃に求めた100%の父親でなくても良くなります。
15歳のエストレーリャは父親が思うより大人であり、8〜9歳からずっと気にかけていた真実を、大人同士として話してほしかったのではないでしょうか。
ただ、アグスティンからすると「他に好きな女性がいる」という見せてはいけない姿を娘に見せてしまったことは、決定的なダメージでした。
ただでさえ、昔の女性にこっぴどく拒絶されて苦悩しているのに、娘がずっと女性の存在を知っていたとしたら、
消えてしまいたくなる気持ちも、まぁ分かるような気がします。
しかし、アグスティンはどうして過去の女性にくっだらない手紙を書いてしまったのかは今も疑問です。
別れて10年くらい経っているはずなのに、あわよくばヨリを戻せるんじゃないかという浅はか過ぎる内容で、とてもギャップを感じたのです。
医者であり、ダウジングで水脈を見つけて村人から尊敬され、社会的にも親としても立派な人物である一方で、内面が繊細で脆弱であることが、私はとても気になりました。
せめてもの救いは、黙って姿を消したことと、大切な道具であるダウジングの振り子を娘の枕の下に忍ばせたことでしょう。
これが最大限の優しさと慰め、励ましだったのではないでしょうか。
それにしても娘にとってはつらい結末です。
こういう映画を見るとつくづく思うのですが、くだらない親でもなんでも、自死だけは避けなくてはいけません。
毎日少しでも楽しいことを見つけていきたいですね…というわけで、今日はこれからビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』を観てきます。