『モリコーネ 映画が恋した音楽家』天才ってこんな人!

エンニオ・モリコーネは、500曲にのぼる映画音楽を作曲した巨匠です。『荒野の用心棒(1964)』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984)』『アンタッチャブル(1987)』『ニュー・シネマ・パラダイス(1988)』など数々の心に残る音楽を作り、2020年に逝去されました。

この映画は氏が存命の頃に、モリコーネの後輩でもあり友人のジュゼッペ・トルナトーレ(『ニュー・シネマ・パラダイス』監督)により撮られたドキュメンタリーです。

結果的には追悼の意味合いを持つこととなりましたが、それは予期せぬ出来事だったため、モリコーネ本人への膨大なインタビューで構成されています。

本人による楽曲解説やエピソード、懐かしい名シーンの数々、そうそうたる顔ぶれのインタビュー、モリコーネ指揮によるワールドコンサートツアーの演奏…そのまま映画音楽史とも呼べる作品です。

楽器を弾かずに直接五線譜の上へ全てのパートを書き、演奏すると交響曲になっている。そして生涯500曲もの映画音楽を作曲。けれど当初は映画音楽の芸術的地位が低かったため、師や友人からも理解を得られず屈辱を味わいました。

なぜ、不遇な中でもモリコーネは映画音楽を作り続けたのか。私はそこが知りたいと思いながら見ていましたが、全編を通してはっきりと示されていなかったような気がします。

映画そのものへの愛か、映画音楽を作るのが楽しかったからなのか、映画人としての充実感か、実験音楽の挑戦ができるからか、映画音楽の地位を上げるためなのか、偏見への反骨心か…。

いろいろと考えを巡らせて、どうもそういう俗なものではないのでは…と私なりに思い至りました。

それは「天才だから」

そう考えると「わからなくて当然」と解せるのです。

求められるものがそれ以上にできてしまう能力があり、映画が恋したというタイトルのように、映画がモリコーネを手放してくれなかったからではないかと。

先日、理解の箱のことを書きましたが、モリコーネの脳内には膨大な数の「映画を解釈する理解の箱」があったのでしょう。深い理解と表現する術を持ったことで、映画表現の重要な一部をになう使命が与えられてしまったような気がします。

特に字幕に頼って映画を見ている側からすると、言葉に依らない映画音楽はそのままダイレクトに心に響き、理解の大きな助けとなってきました。今まで意識してきませんでしたが、映画の味わいがモリコーネのおかげで何倍にもなっていたのです。

ありあまる才能を映画のために使ってくれたこと、映画の豊かさ教えてくれたことに心から感謝しながら、映画館を後にしました。

映画ファンにはもちろんですが、音楽、文芸、絵画など、あらゆるアートに興味を持たれる方の刺激となる作品だと思います。