『ダークナイト』(2008)感想文

これはジョーカーの映画と言って差しつかえないと思います。

堂々としている人は魅力的と言いますが、単なる悪人を超える狂った人でありながら、この輝き、存在感、格好良さ。

『ダークナイト』の考察はさまざまなところで行われていますので、いまさら語るのも恥ずかしいのですが、ジョーカーの魅力について考えていきます。

バットマンは今回(も)ちょっとダサいのであまり触れません。そういえばバットマンがカッコイイと思ったことが、今までないような…ごめんなさい。

ヒース・レジャーが素晴らしい

ロンドンの人里離れたホテルに6週間こもり、ジョーカーの研究と役作りをしたというヒース・レジャー。

元々の彼は甘い顔立ちの二枚目で、役の上でのジョーカーと同じ人物にはとても見えません。

喋り方から歩き方、不遜な態度や物腰までブレなく一貫しているところに、徹底した役作りを感じます。

役柄をとことん自分のものにして、身も心もジョーカーになりきっています。

ジョーカーはメイクも自分でするだろうという案から、あのメイクを作り、手指を白く汚しての演技が生々しい。

また、アドリブを嫌うクリストファー・ノーラン監督から拍手のアドリブ(ジョーカーを逮捕した評価でゴードンが昇進した場面)を許されました。

役作りにおいて信頼されていることがわかります。

ヒース・レジャーが公開を前に薬物の事故で亡くなったことは、本当に残念です。

ブルースの、これ見よがしに美女を引き連れて、嫌味っぽく出てくるくだり、嫌な奴〜ですよね。レイチェルは二股ですし、ハービーは闇落ち。

ジョーカー以外が、どうにも魅力的に見えませんでした。まぁそれが人間らしさというものなのかもしれません。

正直なところ、ヒース・レジャーの演技がキレッキレで輝きすぎていて、他が色あせて見えてしまうのです。

犯罪の目的とは

ジョーカーの目的はお金でも殺人でもありません。人々を混沌に陥れるための手段としてそれらがあるだけです。

多くの人々が正義や倫理にそって生きたいと望んでいますが、そこを揺るがし、覆して楽しむのがジョーカーなのです。

金や命を与えても満足しない、何をしでかすのか予測不能、そして殺せばこちらが殺人者となり、ジョーカーの思うつぼとなるのです。これほど厄介な敵がいるでしょうか。

私たちは秩序や倫理を超えたもの、善悪で測れないものに憧れを抱き、秩序という父性的なものを乗り越えたいとい深層心理もあるのでは、と感じます。

何の制約もなく、自由であり、孤高の存在であること、善悪にとらわれないこと。人として難しいことをジョーカーが容易に叶えていて、まぶしく見えるのです。

ジョーカーは勝ったのか負けたのか

ジョーカーはいくつもの試しを仕掛けてきましたが、結局は逮捕されました。結果だけを見れば負けたのかもしれません。

ただ「試合に負けて勝負に勝った」感があります。正義の人から破滅したハービーと、翻弄され続けて罪をかぶることになったバットマンは、とても勝ったように見えません。

そしてとらわれてもジョーカーは笑い続けているように思えます。

まとめ

よくよく考えると、ハービーが復讐の鬼と化して、バットマンが罪をかぶる必要があったのか? 真実を知ってゴッサム市民は絶望しただろうか? という疑問は残ります。

また、レイチェルは前の人のままが良かったなぁとか、ラミレス刑事は生き残ってハービーのことを黙っている気なのか? とか、色々と気にかかることはありますが、とにかく、前作に比べて、とても面白かったです。

ストーリーとは関係ありませんが、印象に残ったシーンがありました。

ジョーカーがやけどしたハービーと病室で対峙するシーン。

ハービーに復讐をあおり、病室を後にするジョーカーが、入り口の消毒薬で、手を消毒するのです。

メイクで汚れている手を消毒? 向かい側に手洗い場が見えるけれど? どういう心理なのか、興味深かったのです。

ハービーを焚き付けて「後は知らないよ」というけじめを体現しているのかなと想像しました。

さて次は三部作の最後『ダークナイト・ライジング』です。クリストファー・ノーラン監督は真面目な人なのか、みっちり話を詰め込んでくるので、よく見ないと話が分からず、ちょっと疲れます。次も2時間45分と長い…がんばります。

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