『恋する惑星』(1994)映画感想文・U-NEXTにて鑑賞

話題になっていることは知っていても、見逃す映画ってありますね。

『恋する惑星』は1994年の作品。当時わたしは大変な時期だったので、映画を見る心のゆとりがなく、未見でした。

公開時に映画館で見ていたら、何倍も良かったんだろうな、と思いながら、興味深く、面白く拝見しました。

ネタバレあり感想

一部の金城武パートと二部のフェイ・ウォンパートの繋がりの薄いところも群像劇らしくて洒落ています。

また、ありそうでなさそうな話がファンタジックですし、当時の香港の雑多な雰囲気と独特の色合いが実に心地良いです。

私は意外と一部のラストが渋くて好きです。昨夜まであちこちの女性に電話をしては断られていたモウ(金城武)。偶然出会った麻薬ディーラーの女の靴を磨き、そっと出ていくのがとても粋でカッコイイです。

そして本編とも言える二部では、心優しい、鈍感で繊細な警官663号をトニー・レオンが演じています。

こちらもまたとても素敵。部屋着が白のランニングとブリーフ、というのも、実直な人柄を表現する格好のアイテムです。

フェイ・ウォンはもちろん、キュートで不思議な魅力にあふれた女の子ではありますが、行動に一貫性がなく、不安定な存在。

見る側の心がフェイを受け入れられるかどうかが、評価の分かれ目かもしれません。

今の私なら「フェイも不器用でそれなりに苦労している面もあるんだよね…」と優しい目で見ることがでますが、若い頃に鑑賞していたら、見たままの自由さ、無邪気さに嫉妬したような気も。

663号とフェイは性格が正反対であり、二人がぎこちなく交流を深めていく様子は、デコボコしていてとても愛らしく見えました。

663号が少しずつ失恋の痛手から立ち直る様子や、フェイの少し行き過ぎた行動やイタズラ心など、お洒落映画に見えて、実は意外と「心の綾」を繊細に表現しているところが、優れています。

フックが効いていて、意外と深みもあるんですよね。

ラストシーン解釈

ラストシーンをどう見るか、については、語ると野暮な気もしますが、フェイはCAにはならなかった(なれなかった)という説を支持します。

なれていれば良かったですが、そんな器用で賢い子にはどうしても見えないからです。賢かったら勝手に人の部屋に入ったり、しないのではないかと。

後先考えずに思いつきで行動してきたフェイであり、そこが彼女の魅力でしたから、一年間でCAになれていたら、私は反対にガッカリしたかもしれません。

デートに誘われた時も、喜んでいたのになぜ現れなかったのか、と思います。

初めは喜んでいたものの、直前でなにかふと、気持ちに変化があらわれたのでしょう。

今の自分は彼にふさわしくないとか、部屋に忍び込んでいたことがバレて気まずいとか、あるいは恋が進展することが怖かったのかもしれません。

一年後のフェイのCA 姿はとても違和感のあるものでした。本物のCAなら、あのようなボサボサ頭でサングラスなどをかけて現れないでしょう。左手の薬指には指輪までしていました。

彼女の不器用な嘘と663号も知りながら、微笑ましく見ているのではないか? と私は想像しました。

まとめ

構成など、かなり無茶なことをしているにもかかわらず、圧倒的な説得力と生命力にあふれる映画でした。ウォン・カーウァイって自分に自信があるんでしょうね、そうでないと作れない作品です。

今回、配信で観ましたが、劇場で観るべき作品と思いますので、もしチャンスがあればぜひ捕まえたいと思います。