『パトリシア・ハイスミスに恋して』映画感想文・謎の多いミステリー作家の生涯とは

アガサ・クリスティは知っていても、パトリシア・ハイスミスは知らない、という方はいらっしゃるのではないでしょうか。

欧米ではサスペンス、ミステリー作家として、アガサ・クリスティと並ぶ人気作家、だそうですが、私も経歴を見るまではあまりピンと来ませんでした。

パトリシア・ハイスミス(1921-1995)のミステリーは多くが映画化されています。有名なものを挙げると…

『見知らぬ乗客』(1951)アルフレッド・ヒッチコック

『太陽がいっぱい』(1960)ルネ・クレマン

『アメリカの友人』(1977)ヴィム・ベンダース

『キャロル』(2015)トッド・ヘインズ

などなど、20以上も映画化されています。

パトリシア・ハイスミスは同性愛者・レズビアンでした。『見知らぬ乗客』でデビューしていきなりヒッチコックから認められて映画化され、2作目に『キャロル』で女性同士の恋愛がハッピーエンドで終わる小説を書きましたが、当時レズビアン小説は世間で受け入れられず、別名で出版せざるを得ませんでした。

その後、30年を経て、パトリシア・ハイスミス名義でようやく『キャロル』が再発刊され、2015年に映画化もされました。先日配信で観ましたが、とても素晴らしい映画でした。

自分の性的指向を隠しながら、母親との確執に苦しみながら、奔放な女性関係と孤独を繰り返す生活をヨーロッパ各地で送りました。

晩年のハイスミスは非常に硬い表情で気難しい印象を受けます。インタビューの場面でも受け答えに苦しむほど、人間が嫌いになっていました。

長い年月で多くの女性と交際し、別れを繰り返し、しかし晩年まで長く一人の人物と過ごすことができなかったことが、彼女の心を頑なにしていったのではないかと推測しました。

彼女の人生を見ると、穏やかに続く愛情というものがなく、激しい愛と、破綻の末の絶望を繰り返しているようでした。

恋愛に依存するのも、母親との関係が彼女の人生に影を落としていたからだと思われます。

ハイスミスが生まれる直前に両親が離婚、父親は中絶するように言い、母親は流産しようとしたと言い、6歳まで祖母の元で育てられたというハイスミス。母親から愛されず、ペンネームで発表したレズビアン小説を母親から明らかにされ、法律的に絶縁しています。

母親の写真を見ると、非常に厳しい表情、冷たい雰囲気の女性でした。母親からの温かい愛情をどれだけ求めていたのだろうかと思うと、やりきれない気持ちになります。

母親に愛されたいと願いながら叶わず、その代償を求めるように女性たちとの恋愛に耽溺するようになったと想像できます。

今回の映画を見て、パトリシア・ハイスミスの知られざる苦しみや孤独を知り『キャロル』の配信を視聴したり、本を買ったりしてみました。

「私が小説を書くのは生きられない人生の代わり。許されない人生の代わり」

この言葉が胸に響きます。彼女の心や人生は作家活動と数々の恋愛に支えられていたことがわかります。しみじみと深く感じ入りました。

なかなか切ないドキュメンタリーであり、貴重な映像の数々を見ることができ、良い体験でした。