予告を見て、とても重苦しい印象があったため、鑑賞予定から外していたのですが、樺沢紫苑先生がとても評価されていたので、見に行ってきました!
どんなに救いのない話でも、最後に一筋の光が見えたらそれでいいというつもりで見ましたが、結論は「本当に救いがなかったけれども、奇妙な充足感があった」というもの。
鑑賞後、まるで地獄を見てきたかのような、けれどそれほど不快でもない、不思議な気持ちになりました。
親の罪によりさげすまれ、暴力を受け、母親は依存症。優(横浜流星)がどうして村から出ていかないのか、決定的な理由があるのかと私は思っていました。
しかしそこは説明されません。美咲(黒木華)に問われても、選択肢があるわけないと返答します。
村に絡め取られていて、身動きがとれなくなっている状態なのかとその時は思いましたが、少し違う。
どうやらこの優という人間は、村に依存しているらしいと気づいてきました。そこが恐ろしいと感じた瞬間です。
はびこる格差社会や同調圧力、貧困、利権といった問題の影で、一人の青年が闇を抱え、誰も何も言わないけれど、完全に依存という病に冒されているのです。
村から出ればいい…それはもっともな話なのですが、洗脳されているようなものですから、できないのは当然です。
たとえばアルコール依存者が「お酒をやめればいいじゃないの」と言われても無理であるように、優もまた「この村から去りたくない」と心の底で思っているのです。
同級生の美咲が帰郷したことで、物語は大きく転換していきます。
能面は、見る者が「自分の心を知る」つけた者が「真の姿を隠して周りと同じようにふるまう」と考えると、美咲は後者へ導く役目だったのでしょう。
ただ、どことははっきり言えませんが、美咲は言動が何かおかしいような気がしました。あと、優の母親も依存症からたった一年で、元気に働き始めたりしていて。
死んだ目をしていた優も別人のように生き生きとした表情になっていますし…あちらこちらにちょっとした違和感があるのです。
「邯鄲の夢」が随所に出てきたことで、一瞬の栄華はもしかして優の見ていた夢! という見方もできなくもありません。
いっそ美咲と再会する場面から夢だった方が良かったかもしれませんが、そう考えるのも面白いです。
見終わっても私は後味がそれほど悪くありませんでした。結末としては最悪の部類でしたが、ラストの優の表情に何か安堵のようなものが見えたからです。
これまで苦しめられていたもの(村)から解放された表情か、完全な悪へ堕ちたことへのあきらめや自嘲か、いろいろな気持ちが込められているように感じました。
横浜流星さんの演技がとにかく素晴らしいのと、幻想的な「薪能」とゴミ処理場の対比、美咲の弟、恵一について考えてみるのも面白く、考察がたくさんできる、非常に興味深い作品でした。
もう一度見ればもっと色々気づけそうで、悩みます!