『死刑台のメロディ』映画感想文・思想、移民弾圧の醜さ

生きていると理不尽なこともある、とは思いますが、あまりにもひどい話であり、実話であるため、人間とは恐ろしいことをする生き物だとショックを受けました。

冤罪を被るのがアナキスト、無実の罪を着せるのが体制側というはっきりとした図式があり、映画そのものに思想的な意図がある気もしますが、知識がないため物語そのものを味わうことにしました。

偶然ですが『バティモン5』と同じ日に観て、移民の苦悩が時代や国を超えて変わらず続いているのを感じました。

あらすじ

1920年代のアメリカで実際に起こった冤罪事件「サッコ=バンゼッティ事件」の差別と偏見に満ちた裁判の様子を、「明日よさらば」のジュリアーノ・モンタルド監督が冷徹なまなざしで描いた実録ドラマ。

イタリア移民の労働問題が叫ばれていた1920年代のボストン。靴職人のニコラ・サッコと魚行商人のバルトメオ・バンゼッティはともに護身用のピストルを携帯しており、それを見とがめた警察は彼らがイタリア人だと知るや、即座に逮捕。2人はまるで身に覚えがない製靴会社の現金強盗殺人犯とされ、次々と提示される証言や証拠によって有罪の判決が下されてしまう。

1971年製作/125分/イタリア
原題:Sacco e Vanzetti
配給:キングレコード
劇場公開日:2024年4月19日

その他の公開日:1972年5月5日(日本初公開)

『映画.com』より引用

感想(ネタバレ含む)

今回の上映は『エンニオ・モリコーネ特選上映』として公開されました。

モリコーネが誰かも知らなかった私でしたが、昨年『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を観て、超有名なあの曲もこの曲も! と、自分の無知を恥じながらも、認識することとなりました。

しかし、この映画に対してモリコーネの繰り返し流れる曲が、合っていたのかどうかは微妙なところです。

これは冤罪という内容から社会的・思想的問題を多分に含んでいて、正義とは何かを考える映画です。

そこへ叙情的なモリコーネの曲が入ることで、観る側の感情をよりサッコとバンゼッティに惹きつける効果を生んでいます。

果たしていいのか悪いのか、難しいところです。

私の頭の中では、恣意的なものを少し感じて、メロディが邪魔に思えなくもなかったです。

この曲こそが良かったという方もいらっしゃるので、見方はいろいろですね。

それはさておき、サッコとバンゼッティの運命には背筋の凍る思いがしました。

何もしていないのに思想や国籍により死刑にさせられてしまうのです。

刑が確定し、その日を迎えるまでの二人は対照的で、どちらがいい悪いではなく、極限状態に置かれた時に人間の本質が浮かび上がるのを感じました。

発狂して病院へ送られたサッコと、冷静さを保ち続けようとしたヴァンゼッティ。

どちらの気持ちも非常に生々しく描かれていました。

サッコは息子へ手紙を残します。

「遊んでいるときの幸福感を忘れるな。幸福感を独り占めするな」

これは息子だけではなく、社会へ向けてのメッセージでもあると感じました。

怒りが含まれている言葉のようにも見えます。

日本でも同じ頃、治安維持法により思想が弾圧され、最高刑は死刑という法律がありましたが、権力者の弾圧の醜さ、おぞましさが存分に表現された作品であり、勉強になりました。

『福田村事件』で思想弾圧が少し描かれていたのを思い出したりして、映画って勉強になりますね。

というか、私はいい歳をして何も知らなさすぎて、何を学んできたのかと思います。恥ずかしい…。