『ぼくが生きてる、ふたつの世界』映画感想文・コーダあいのうたより100倍良い!

この映画には個人的に救われました。

親、特にお母さんのあり方が、とても勉強になりました。

↑何気ない母と息子の姿ですが、見た後ではジーンときます

あらすじ

宮城県の小さな港町。耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……。

2024年製作/105分/G/日本
配給:ギャガ
劇場公開日:2024年9月20日

感想(ネタバレ含む)

この映画でよく引き合いに出されるのは、第94回アカデミー賞で3部門を受賞した『コーダ あいのうた』です。

私はこの作品がとても苦手でした。両親が毒親にしか見えず、自分たちを棚に上げて、何やらいい話に仕立て上げているのが腹立たしかったのです。

・主人公ルビーが「生まれた時に耳が聞こえてがっかりした」という母親の言葉はどうしても看過できない。

・そのくせルビーを通訳として利用しまくっている家族。

・夜明け前から学生のルビーを漁船に乗せる非常識さ。

・聴覚障害云々は抜きに、とにかく下品で無神経な両親。

・それでも親を愛し、家族を愛しているという主人公の感覚に違和感。

・ルビーが歌うことが好きなことも上手なことも知らなかったというのは親として信じられない。

・自分たちの過ちに気づいて深く反省、未熟で身勝手な親が子どもへの依存を断ち切り、改心する話かと思いきや、娘の夢を後押しするいい親のように描かれているのが腹立たしい。ルビーの成長や巣立ちのような話にされている。

・試験に遅刻して、家族が会場にこっそり侵入して、それで合格するとか、大学受験を舐めているように思う。

しかし、今作を拝見して『コーダあいのうた』の違和感が全て払拭されました。

聴覚障害の両親という設定ながら、普遍的な親子の話に落とし込まれていて、どこにでもありそうな、そしてどの登場人物にも感情移入できる、深みのある作品でした。

きちんと親が親であり、子どもは成長するにしたがって、自分のあり方を振り返って親の思いを理解し、後悔や感謝の気持ちをかみしめる。そんな物語になっていました。

終盤に時が戻り、主人公の大(吉沢亮)が故郷を後にする頃を描いていたのが、とても良かったです。

隠されたエピソードが明らかになって、わがまま勝手に見えた大の心情が浮き上がってくるところが、非常に巧みでした。

彼は彼で、複雑な思いを抱え、コーダとして生きることから逃げたかった。優しい両親だからこそ、それが後ろめたく苦しかったのだと分かりました。彼も本当は心優しい青年だったのです。

父親の「お前、かわいそうなの?」という問いかけや、大が母親に「ごめん」と一言謝るところ。母親が大に「ありがとう」と言うところ。

短い言葉のやりとりに、たくさんの気持ちが詰め込まれていて、手話がとても豊かな表現に感じました。

特に母親のあり方が素晴らしく、聴覚障害を補ってあまりある愛情を息子に注ぎ、大が反抗を続け、暴言を吐いても、顔では笑って、辛そうな様子を見せずに接し続けるところは、日本のお母さんの鏡のように見えました。

大の上京前に一緒にスーツを買いに行き、食事をする場面がありましたが、母親にとっては、本当に嬉しいひとときだったのだろうなと見ていて分かりました。

それだけでも充分な親孝行、いい息子じゃないの…と感じました。このお母さんに育てられたら、そんなに間違った方向へは行かないはず、という妙な安心感もあって、反発する大を微笑ましい気持ちで見ていられました。

忍足亜希子さんのお母さんの演技が、優しくて暖かくて、本当に素晴らしかったです。

違和感しかなかった『コーダあいのうた』よりも何倍も深い愛に満ちた素晴らしい映画で、嫌な記憶が払拭されました。

めったにこんなことを考えないのですが、ぜひ、どこかの映画賞を受賞してほしいですし、多くの方に見ていただきたい映画です。