絶食カルトとでも言いましょうか、宗教じみた教師の教えにハマっていく生徒たちを描いています。
その教えよりも、生徒たちの親子関係に恐ろしさを感じた作品でした。

このビジュアルのようにポップではなかった!
目次
名門校に赴任してきた栄養学の教師ノヴァクは、「意識的な食事」と呼ばれる最新の健康法を生徒たちに教える。それは「少食は健康的であり、社会の束縛から自分を解放することができる」というもので、無垢な生徒たちは早速実践を開始する。ノヴァクの教えに感化された生徒たちは「食べないこと」に多幸感や高揚感を抱くようになり、その言動は次第にエスカレート。両親たちが異変に気づいた時にはすでに手遅れで、生徒たちはノヴァクとともに「クラブゼロ」と呼ばれる謎のクラブに参加することになる。
2023年製作/110分/G/オーストリア・イギリス・ドイツ・フランス・デンマーク・カタール合作
原題または英題:Club Zero
配給:クロックワークス
劇場公開日:2024年12月6日
最後まで見て「ハーメルンの笛吹き男」に似ている話だと思いました。最後に生徒がひとり残ったのも似ています。後から調べたらやはり着想を得たとインタビューに書いてありました。
名門校に招かれた栄養学の教師ノヴァクが、最初こそもてはやされるものの、やがて親たちの苦情を受けるなどしてクビとなり、すでに洗脳していた子どもたちを最後には連れ去ってしまいます。
このようなカルト団体があるのは前提として、安易に招き、解雇する学校の軽率さ、そして親たちの形ばかりの対応を皮肉として描いているように見えました。
特に、完全に摂食障害となっている子どもたちに対して、それが根本的には心の問題であると気づかない親たちは、子どもがいなくなった後も呆然とするばかりで、何の気付きも得られていないところが恐ろしく感じました。
教師ノヴァクに傾倒したのは、子どもたちの心に隙間があったからでしょう。
彼らの家は裕福であり、名門校に子どもを通わせることで親の役目を果たしたと満足しています。親として子どもの心を満たすことについて無関心のようでした。
そこへ巧みに入り込んだのがノヴァクだったというわけです。
彼女の不気味さは、自身が本当にこの信心にのっとって行動している点にあります。
悪意を持って、意図して子どもたち取り込もうとするよりも、良いことと思ってやっている方が実はずっと罪深いのです。
子どもを救うことのできなかった大人たちが集まり、無言で座り続けているさまは、この映画を象徴する印象的なエンドロールでした。
どうしてこんなことになったのか、誰もわからないのです。
その直前に「自分たちも絶食すれば子どもの気持ちがわかるかもしれない」という的外れな発言がありました。
ひとり残った子どもが、信心がないから無駄だという意味の言葉を残しましたが、さらにその奥にある真の理由は「子どもの心が空虚であったこと」「日頃からそれを満たす親の力がなかったこと」だったと私は思います。
子どもたちはノヴァクに誘われてクラブゼロの会員となり、その後どうなったかは描かれていませんが、もし生きていたとしても、彼らの親が救い出すことはこのままでは不可能でしょう。絶望感ただようラストでした。
割とそこまで考える鑑賞者はいないと思いますが、親子関係に着眼するととても興味深い作品でした。