樺沢紫苑先生が絶賛されながらも日本人には全くウケないでしょうと話されていましたね。そう、ボヘミアン・ラプソディのような音楽映画を想定して観ていた私。見ながらあれ?なんか違うぞ違うぞ〜と確かに感じました。
気持ちの立て直しが難しかったので、変な期待は持たずに鑑賞するべきだなと反省。この写真も少し誤解を招くような気がします。究極のミュージック・エンターテイメントというより、スーパースターの光と底知れぬ闇、という映画でしたね。

トム・ハンクス扮するパーカー大佐によって語られるエルヴィス・プレスリーの栄光と苦悩の物語。苦悩ってパーカーお前が悪いんやろ! なんでお前が偉そうに語るねん! というモヤモヤが拭えませんが、そういう手法なのですね。パーカーに語らせることこそがエルヴィスの不幸のような気がします。
音楽以外の多くを人任せにしたことでマネージャーのパーカー大佐から金銭的に搾取され続け、馬車馬のごとく働かされました。これはエルヴィスにとって災難なのか? いや、この関係を心のどこかで認めていたようにも思えます。
私が注目したのはエルヴィスと母親の関係です。世間から強く求められてエルヴィスが離れていくことに不安を覚える母親、そして息子も精一杯それに応えようツアー先から毎晩電話…この親子関係がいびつに見えました。共依存という言葉が頭に浮かびます。
だからこそ母親が亡くなった時(アルコール依存)、エルヴィスは自分を支えていた柱を失い、途方に暮れたのです。打ちひしがれるエルヴィス…その懐へ潜り込む瞬間のパーカー大佐! ここが私としては最も闇を感じたシーンでした。
弱っているところにつけ込み、パーカー(ギャンブル依存)の心情は「しめしめ…」といったところでしょう。エルヴィスはわかっていても彼を完全に切ることはできませんでした。時に反発し、時に手を組み頼り、愛憎入り交じる関係が続いてしまったのは、エルヴィスの弱さだったのかもしれません。
エルヴィスも薬物依存。スターは孤独と言われますが、溢れる才能と富と名声がありながらも、実際は生身の人間です。どうしようもなく満たされないものがあって何かに頼ってしまうこともあるのです。
母親がいなくても、一人でも、自分の足で自信を持ってしっかりと歩んでいくには、能力とはまた別の力が必要なのです。それを与えられる母親になるには…と考えさせられた映画でした。
パーカーのことを途中からピーター大佐と書き間違えてしまい慌てて直しました。誰なんだピーターって(苦笑)