ギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス。今年『憐れみの3章』が公開されるので、未見の作品を見ておこうと思い鑑賞。
宮廷での女性同士の愛憎劇で大変面白いのですが、やっぱりエマ・ストーンがちょっと大袈裟な気がするんだなぁ…これでいいのかなぁ…。
「この人だからこそ良い!」とおっしゃる方が多いのは分かっているのですが。
美術が素晴らしかった…
目次
18世紀初頭、フランスとの戦争下にあるイングランド。女王アンの幼なじみレディ・サラは、病身で気まぐれな女王を動かし絶大な権力を握っていた。
そんな中、没落した貴族の娘でサラの従妹にあたるアビゲイルが宮廷に現れ、サラの働きかけもあり、アン女王の侍女として仕えることになる。
サラはアビゲイルを支配下に置くが、一方でアビゲイルは再び貴族の地位に返り咲く機会を狙っていた。
戦争をめぐる政治的駆け引きが繰り広げられる中、女王のお気に入りになることでチャンスをつかもうとするアビゲイルだったが……。
2018年製作/120分/PG12/アイルランド・イギリス・アメリカ合作
原題または英題:The Favourite
配給:20世紀フォックス映画
劇場公開日:2019年2月15日
病弱で精神面も不安定なアン王女、王女の幼なじみで政治の実権も握っている側近のサラ、サラのいとこで没落から復活したいと野心を燃やすアビゲイル。
政治も絡みますが、シンプルにこの3人の愛憎劇となっています。
初めは不遇のアビゲイル(エマ・ストーン)に感情移入、支配的なサラ(レイチェル・ワイズ)が悪役…と思いきや、形勢が逆転するにしたがって、そうでもないことが分かってきます。
アビゲイルのしたたかさが半端ではなかった(笑) 人は見かけによらぬものです。
そしてヨルゴス・ランティモス、ミスリードを誘ったな〜という印象です。
最後、アビゲイルの思い通りになったはずなのに、彼女は幸せそうに見えません。
どこにも愛がないからでしょう。全て見せかけの優しさ、見せかけの愛情である寂しさを感じます。
ようやく自分の望む生活を手に入れた、しかしそれで本当に良かったのかという疑問が彼女の中に湧いています。
アン王女とサラは利害関係だけでつながっていたのではなく、歪みながらも深い愛情で結ばれていたことが明らかになり、だからこそアビゲイルが現れるまでうまくやってこられたのです。
愛情がなければサラの代わりになることは耐え難い苦痛。その立場になって初めて分かり、暗澹たる思いになっているアビゲイルだったのではないでしょうか。
戻るも地獄で、自分の望んだはずの運命を受け入れるしかない切なさを感じました。
この監督の作品、私は前作の『聖なる鹿殺し』が今のところ最も好きです。それは俳優によるところが大きく、バリー・キオガンの怪演が良かったとも言えます。
エマ・ストーンがどうしてあまりいいと思えないのかというと、何かヨルゴス・ランティモスのイメージを具現化するのに一生懸命すぎるというか、「この役を演じるのは私しかいない」的な気負いを感じるのです。
その辺りが『憐れみの3章』でどうなのか、興味深いです。
ヨルゴス・ランティモス、好きかと言われたらそうでもありませんが、面白い監督なので常に注目しています。
最後に『籠の中の乙女』を見て、新作に備えます。